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2015年04月30日

20150430「デジカメ買い替え」

新年度も1ヶ月が過ぎようとしています。いかがお過ごしでしょうか。
私はデジカメを買い替えました。

AIMG_3454.jpg

以前買ったのは確か商店街歩きの最後のところのあたりに入る前だったから、2012年の春頃のはず。
約3年ぶりの買い替えですね。予算は倍!(たった2万円(笑))

前のコンデジは初めてのオリンパスでSZ-10という機種。
見た目はそこそこでズーム等も実売約1万円の割には良かったのですが、
なぜか数ヶ月しか販売しなかったという謎の製品らしく・・・。
ズームイン1段階目でほぼピントが合わない、明暗の激しい場所は苦手、
遠景でピントを合わせるのが難しい、等の弱点があり、だましだましの使用でした。
バッテリーの持ちも若干悪くなってきたのでここらで買い替えとなりました。

今回は今後の動画コンテンツ作成(100円おもちゃ)も見越して少しだけ予算をかけました。
カシオのEXILIM EX-ZR800という機種です。2013年発売なので新しくはないですが。
カシオのデジカメって使ったことないんですが・・・これからいろいろ試します。
(以前は富士フイルムが多かったのです。)

あと中古でデジタルビデオカメラも買ってみようと思ってます。ごく安いやつを。


ラベル:欲しめき
posted by しかすけ at 23:37| 日々の記録'15 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月31日

20150131「心の自由について思うこと」

※別に専門家とかではなく思ったことを書いてるだけですよ。


ネットでたまに見かける「人の心がわからない奴」という理由で人を悪く言う(叩く)行為は、
私にとってはやりたくないことのひとつである。


理由は、まずひとつには、その「わかっていない」とされる人も人間なのであり、
その人の内面もまた「人の心」であるからだ。
心とは人の皮の内側では自由で平等であり、その内容で咎められることはないはずだ。
「内面がみんなと同じでない(ように見える)」ことは人間を否定する理由にはまったくならない。
その考えに基いて皮の外で何かをしたとき、その行為が問われるだけである。

もうひとつには、その「わかっていない」人の心が、他の者は「わかる」のか。
また、「わかっている」という者同士で本当に「わかっている」のだろうか。
心は証明ができない。当人がそうだということを認定するかしないかしかない。
人同士の心は、基本的に「理解されたつもりになる」「わかろうと努力は見せる」ものであり、
互いに嘘をつかないという前提でも、そうそう他者がバッチリ理解できるものではないと思う。
少なくとも「理解してもらえて当然」「できて当然」という類のものではない。
ときには自分の内面すら、他人に伝えるのは難しい。それを他人に求めるのは酷ではないだろうか。


身体の機能は人それぞれに異なり、脳のはたらきもまたそうであるように、
心というのは万民共通ではない。違って当然だ。
心とは神かがった何かや身体を離れた何かではなく、身体に備わった機能の一部だ。
後天的な環境や出来事でも、感情や思考はまったく変わるだろう。
「心はみんな同じで当然」というのは「自分もみんなと同じだ」という安心感のために抱く幻想であり、
現実と乖離しているという自覚は必要だ。
自分の思考が他者と違っても別に良いはずなのだが、
我々の暮らす社会ではなぜかそれが不安や糾弾の種になって苦しむ場合があるのは残念なことだ。


ただ、「自分の思いは横に置いておき、それに左右されず他人の思いを構築する」には少し技術がいる。
ある程度訓練していないと、自分の思いにどうしても引っ張られてしまうと思う。
みんながみんな、それができるとは私は思っていない。
自分と相違する都合の悪いことは受け付けないというのも自衛手段のひとつではあるし、
深く人を見つめないで自分と同じだと思うことで「理解した」つもりになれるのは
時間の経済という点ではそこまで否定もできない。
それら自体は悪いことだと思わないが、逆に他者を悪く言う材料に使ってほしくはない。
勝手にそう思い込んだのは自分であることを忘れてはならない。


人の内面は、長い時間の付き合いがあってようやく互いに
「ああ、だいたいこんなことを思っているな」と思うものだろう。
あとは互いに「わかろうとしている姿勢」そのものに感謝や安心や承認を得ているにすぎない。
それは「心を理解している」「されている」のとは違うから、むやみに混同してはいけないと思う。
その誤解は「理解されていると思ったのに」という押し付けの始まりにもなってしまう。
理解しようとしてもわからない心はたくさんあって当然だし、
理解しようとしている姿勢が形式的なものである可能性もある。


また、「あなたはこう考えている」「みんなこう考えるのが当然」という言葉に、
意識的・無意識的に自分の心を寄せてしまう人もいる。
そうさせるのがうまい人というのもいる。
これもまた、それだけでは悪いことであるとは言えない。
ただ、そういう「無条件に飲み込みやすい人」を操って悪事をはたらいたり、
その数にものを言わせて他者を追い出したりするのならば、それは糾弾されるだろう。

どのような心を持ったとしても、それに基づいて行われる外部への「行為」が問題なのであり、
証明もできないのに内面を決めつけることで人を否定しようという動きには、
私はまったく賛成できない。

また逆に、「Aという行為をする人の内面はBだ」というような決め付けも、
たとえ何割かはそうだったとしても、私には積極的に賛同するところがない。
こうした安易な後ろ盾で安心を得るほど、私の心は不安に苛まれてはいない。
何よりそんな決め付けをされたほうは、きっと迷惑なのではないか。
ましてやそれが否定的な内容だったとしたら・・・。
他者を思いやるのならば、こうした決め付け系の言説には安易に飛びつかないでほしい。


これは私の考え方の根幹にあることなのだが、
私にとって他者とはどこまでもグレーゾーンでわからないもので、
そこに短時間で白黒をつけることにさほどの意味はない(ので、普段はやらない)。
意味があるとすればその人の行為が我々の社会での法に照らしてどうなのかという点と、
長い時間をその人と過ごしてみてどう感じるかということくらいである。
よく知らない人のことは、どうやったって知らないのだから、
偏った情報から変に思い込んだりするのは却ってその人に失礼だと思っている。
(仕事の面接など、互いが短期間での評価を求めるならともかくとして。)

もちろん、周囲の人や著名人に白黒つけないと精神衛生上良くないという人がいること、
また他者を斬り評価することが一種の娯楽でもあるということはわかるつもりである。
また、派閥や敵味方という観点を持つ人がいる以上、
偏らないことより偏るほうが利益になる一面も、まったく否定はできない。
ただ私はそこに、少なくとも表立ってあまり加担したくないというだけで!


※こういう考え方をしていてもあまり良い出来事はないかもしれませんので、
 影響されたり真似する場合は自己責任でお願いしますね。
 
posted by しかすけ at 12:16| 考え事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月12日

20150112「新年」

気づけばもう12日だけど、あけましておめでとう。
今年もぼちぼち更新しますんで、ひとつよろしくお願いします。

※初詣初日の出深夜歩きの様子はこちら

※今年の更新計画はこちら

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今年の目標というのは特にないのだけど、去年から思っているのは、
とにかくちゃんと発信しようということ。時間をうまく使ってね。
上記更新計画も徐々に体制を整えていくのでお楽しみに。
(土日更新もの以外はだいたいやってます。)


目玉というか、新しいこととしては、
100円ショップのおもちゃ図鑑」を5年ぶりくらいに再開し、動画主体で配信しようと思っている。
Youtubeで公開予定でチャンネル等は新規に作るので準備中。今月中にはやる。
ま、要は100円おもちゃを大人が100円分しっかり楽しむような、
あるいはおもちゃレビューのようなものになるかと思う。
※撮影協力者歓迎。大した機材はないけど、なにしろ一人暮らしなので。。。


あと、ラジオね。前からやりたかったから今年からやろうかなと。
別にそんな大層なことは喋らないけど、自分は元々すごくおしゃべりな人なんだよ。
喋りながら思考を整えていったり、新しいことを思いついたりする。
ただ、今は・・・というかここ15年くらいあまり話相手がいない(特に同年代や年下)のと、
相手がいてもいつも聞き役を期待されてしまうのが、ややストレスになってて。
だからとにかく、まずは好きに喋りたい。なのでラジオやろうと。
これはニコニコ動画のほうにアップしていきます。
タイトルはたぶん「週刊 目標10再生」になると思う(笑)。
俺が投稿して毎週10回再生されたら、かなりのもんだと思うよ。
http://com.nicovideo.jp/community/co1055066


つーことで、受信はほどほどに減らして、とにかく発信する一年にしたい。
もちろん去年から言い続けている散策会やトークイベントもやっていきたい!
やりたいことを、あまり形としては整ってなくても、やっていく一年になったらいい。
そして一年とは言わず続けていって、何か展開があればいいなと思う。
去年は正直、何をやってもほとんど反応無しの一年だったからね。
過去はともかく、前向きに行きたい。応援よろしく!
各種お仕事もお待ちしてますよ!


文章を書く癖をつけるために、ここも去年よりは更新していくつもりなので、
駄文につぐ駄文ではあるけど読んでくれたらありがたい。
ほとんはTwitter以外に日記を書いたほうがいいんだろうと思うし、そうするかも。
posted by しかすけ at 18:44| 日々の記録'15 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月19日

20140719「猥褻は悪なのか」


http://togetter.com/li/692728

表現の何が猥褻に当たるのかについては昔からいろいろ議論があり、
また時に警察の勝手な判断によって見せしめ逮捕のようなものが起きたりもする。

何を見て猥褻だと思うかは、「個人の自由である」と思う。
ただの人形やただの絵、ただの衣服でもそう思う人は思う。
人間は想像することができるのだから、例え何もなくても猥褻なことを思うことだってできる。

「これを見たら猥褻だと思うのが普通だ」などと押し付けられるべきではないし、
誰かが猥褻だと思ったからといって、それを取り去る必要もないと考える。
また誰かが芸術だと言ったからといってそう思わなければならないわけでもない。
わからないものはわからないでもいいのだし、それで卑下されるものでもない。

つまり「どう思うか」なんてことに共通基準を設けるのは現実的ではない。
合わない人が必ず出てくる。
だから、問題(不利益)があるならそれと因果関係が明確に証明できる行為のみ、
具体的に法に記載して取り締まれば良いと思う。


そもそも何かの作品が猥褻であることは悪いのか。低俗なのか。
実は私はこのこと自体、ピンと来ない。
猥褻だと思うだけで何か不都合があるのか。
どの思いが高尚でどれが低俗なんて本当に人間の内部で決まっていることなのか。

快楽に溺れ堕落するとか、他人を強制的にどうにかするとか、
そういうことがなければ別に猥褻だと感じたところで特に困らないではないか。
自分をコントロールできない年齢なら上記の危険もなくはないが、
多くはさしたる影響なんてないだろうし他の法律で取り締まれる。
どうせ犯罪に走る人は一定数はいる。また猥褻さ無しで子孫繁栄家庭円満も無理だろう。


別に性の解放とかどっちの性別がどうだとか言うつもりはないが、
とにかく自分は、何かの作品の見方なんてのはその人の自由で、
それが猥褻であるかないか自体問題ではないと思っている。
もちろん、猥褻であると思う人がいるというだけで作り物を取り締まるなどとんでもないと思うし、
「自分と同じ猥褻さ基準をみんなが持ってくれないと不安だから取り締まれ」みたいなのは
他人(の自由)を馬鹿にした論理(というか感情)だと思うがどうだろうかね・・・。
 
 
posted by しかすけ at 01:17| 考え事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月18日

20140718「無題」


「あなたの感情に合わせて発言しているわけではない」


ネットでいきなり文句を言われる人は、まずこれちゃんと言いましょう。
わかってるようでわかってないのです、いきなり攻撃してくる人は。
posted by しかすけ at 22:54| 何か書く | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

 
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