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2014年07月03日

20140703「エロ銅像部」

芸術を馬鹿にしたようなコメントがついたので、
以前作って消しちゃった裸婦像のブログ、あえてまたやろうかな。
やるなと言われるとやりたくなるしね!

ただ、散策しててもそんなには出くわさないんだよねぇ。
一人だと行動範囲も限られるから。
ありそうでない。意外な場所にあったりね。公民館みたいなとことか。

俺が言うまでもないけど、公開されている作品の感想なんてどんなのでも自由だし、
どのようにそれを見るかも含めての芸術表現だよ。
見られることと見ることが両方あって初めて表現が成立する。
「思っても言うな」なんて他人の表現を否定することこそ芸術のためにやってはいけない事。
だって根本でしょ。そこは。。。
そして、作品も含めて、どんなものが低俗とか崇高なんてことはない! 少なくとも俺にはね。
表現が法に触れるかどうかとか、ビジネスになるかとかの切り口はもちろんあるけど、
それはそれで別の話だからね。

ということで、公開されてる作品について思った感想は、
どんどん言っていこうと思います!! 芸術万歳!!


※エロ銅像部、ゆるーく参加者募集中です。Twitterまで。

※めんどくさいので過去記事コメント欄も閉じたよ。
 
posted by しかすけ at 06:18| 日々の記録'14 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月30日

20140630「ラジオ出ました」

昨日TBSお聴きいただいた方々、ありがとうございました。Twitter等の告知のみここでは特に書いてませんが、TBSラジオ「安住紳一郎の日曜天国」のゲストコーナーに出ました。

***

前日と家出る前には外郎売をやって多少口をほぐした(笑)。昔とった何やらで、ラジオで喋ること自体は特に緊張しないので、ちゃんと喋る・たまには笑いを取る・喋る仕事してる人の技術を盗む、ということを心がけてやってた。放送に出る時はだいたいそんな感じ。家出た直後に元同僚の人が(直接は宣伝してないのに)メールくれたのは嬉しかった。

で中身は、思ったよりソフト・無難で真面目な感じになったなーというのが感想(正解ではあると思う)。出演する方と事前に話せる場合にはもっと砕けられるんだろうけど、たいていはそうではないので、どうしても固くなりがちだなーと思った(前の文化放送も。あんまり覚えてないけど 笑)。本当は商店街のこれからとか全部歩いての感想とかもあったんだけどね。ラジオだしもうちょっと思い切ったこと言いたかった部分は正直ある。うん。

架空地図のことに触れた最後のとこが一番ノって喋ってたのは、あそこが自分の部分の台本まったくなかったから。完全台本かまったくないかのほうが自分にはいいかもね。半端に台本あると、掛け合いにしづらい面もあるからね。

本当は散策会とかトークイベントやりたいよという告知したかったのだけど時間なかった。というか経過時間わかんないのね、自分で。ブースの中では、自分で時間もコントロールしないと!と思ってしまう癖も直らないよね、15年たっても。時間調整する感覚、嫌いじゃないのよ。残りで何を話すかとかね。

あと、今後は散策を10-20代の若い世代にも浸透させたいということを最後に言いたかった。「セブンティーン(とかピチレモンとかニコラとか)に散策コラムが載るくらいに!」ってシャレで言いたかったんだけどなー(台本には盛りこんであった)。

そういういろいろな意味もこめて、ラジオは好きなのでまた出たいなあ。ニコ生でちゃんと喋ってもおっさんだと人来ないからさあ。録音ものでも作ろうかな・・・。

どうせならゲストどころではなくどこかレギュラーください!(何様だ)

 
posted by しかすけ at 23:59| 日々の記録'14 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月16日

20140616「現金」

基本的に現金をやりとりするのは苦手だ。
お年玉など居心地が悪いったらなかった。
なぜ現金でやらなきゃいかんのかと子供の頃から思っていた。

歳食った今もその感覚は変わらず。
特に嫌なのは祝儀とか香典とかだ。本当に申し訳ないけど。


何が嫌かというと、いくつか理由があるのだが、
まずは現金を直接渡すということの生々しさだ。
小銭ならまだ「まじない」のようなものとも受け取れる。賽銭みたいに。
しかし一般には高額紙幣だ。包んでるから直接ではないとかいうのは屁理屈で、
どう考えても直に紙幣を譲渡しているにすぎない。
そこには金額でしか盛り込めない何かが発生し、すごく嫌な感じがする。
相手のことを考えて選んだプレゼントなら、気持ちも乗ろうというものなのだけど。

だいたい、そうした金を当て込んで儀式をやる必要があるのか?
自分なら、結婚の報告でこちらが人を呼びつける場合には、
全部自分で何とかして現金の受け取りなどは固く断るだろう。
まあ一般的な結婚式なんて自分はやらないけども(ショウとしてブッ飛んだ面白いものならやりたいが)。

葬式に関して言えば、まあ自分はやらなくていいとは思ってるが、
もし必要ならそんなの行ける人全員の力でやってやれよと思うわけだ。
残された自分たちが故人への思いを納得させるために行くわけなのだから、
そのための労力くらいは喜んで提供すればいいのに。
逆にそこまで気持ちのない人(立場上行くだけの人)は別に行かなくていいでしょうに。
疲れている遺族が一番あれこれやらなきゃいけないというのが本来おかしい。
まあ、それをお金と業者で解決しちゃえってことなのだろうけど。
(結婚業者・葬式業者の人がいたらごめんね。でも正直、俺は生活上では関わりたくないよ!)


そういう時の金額で人を判断する輩がいるのも大嫌いだ。
気持ちイコール金額。
たとえその人のなけなしの1万円を包んだとしても、1万は1万。
何十億持ってる人でも5万は5万。
バカみたいな話だとは思わないかい?
気持ちイコール服装みたいなのも気色悪い思考だが、
金額ってさらに生々しくて嫌だ。
どういう間柄なら何万円が常識、とかいうことを本気で「やらなきゃ」と思う人、
正直言ってちょっと考えなおしたほうがいいと思う。


要はそういったこと全て、形式で判断するという悪習によって歪になっている。
世間で言われている形式を取ることができるのが大人だ、
という大きな大きな勘違いによるものだ。
世間体偏向主義とでも言おうか。みんな本当に世間様が怖いのだと思う。
世間様という神様がいるから楯突いては生きていけない、みたいなね。


これはマナー論になってしまうが、
「こうするのがマナーです」と最初からルールのように決めておくのは、
自分でいちいち思考したくない人たち、笑われたくない人たちにとっては便利かもしれないが、
そもそもそんなのは本来のマナーではないと思うし、
少なくとも他人に押し付けたり他人を斬ったりすべきものではない。
その場にいる相手に自分から譲歩し配慮できる優しさこそが最大のマナーだろう。
ある決め事から外れていないから安心、という心理はわからなくはないが、
マナーの踏襲具合で相手を判断するのは、他人を試すようなもので、
相手を思いやることとは全然違う。
むしろ傲慢であり、思いやりのかけらもない行為。
だからそんなことはやめちまえと思うわけだ。

それぞれの人の思いが大事だよね?
それを金額や形式でしか汲み取れないって、すごく悲しいことだよね?
「大人なら納得しろ」という非論理的かつ優しくもない風習なんて残さなくていい。


で、こういうことを書くと、ますます人が寄り付かなくなる。
わかってはいるのだが。
たまに書く日記がこんなのって、救いようがないなとは思う。


posted by しかすけ at 10:38| 日々の記録'14 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする