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2014年07月19日

20140719「猥褻は悪なのか」


http://togetter.com/li/692728

表現の何が猥褻に当たるのかについては昔からいろいろ議論があり、
また時に警察の勝手な判断によって見せしめ逮捕のようなものが起きたりもする。

何を見て猥褻だと思うかは、「個人の自由である」と思う。
ただの人形やただの絵、ただの衣服でもそう思う人は思う。
人間は想像することができるのだから、例え何もなくても猥褻なことを思うことだってできる。

「これを見たら猥褻だと思うのが普通だ」などと押し付けられるべきではないし、
誰かが猥褻だと思ったからといって、それを取り去る必要もないと考える。
また誰かが芸術だと言ったからといってそう思わなければならないわけでもない。
わからないものはわからないでもいいのだし、それで卑下されるものでもない。

つまり「どう思うか」なんてことに共通基準を設けるのは現実的ではない。
合わない人が必ず出てくる。
だから、問題(不利益)があるならそれと因果関係が明確に証明できる行為のみ、
具体的に法に記載して取り締まれば良いと思う。


そもそも何かの作品が猥褻であることは悪いのか。低俗なのか。
実は私はこのこと自体、ピンと来ない。
猥褻だと思うだけで何か不都合があるのか。
どの思いが高尚でどれが低俗なんて本当に人間の内部で決まっていることなのか。

快楽に溺れ堕落するとか、他人を強制的にどうにかするとか、
そういうことがなければ別に猥褻だと感じたところで特に困らないではないか。
自分をコントロールできない年齢なら上記の危険もなくはないが、
多くはさしたる影響なんてないだろうし他の法律で取り締まれる。
どうせ犯罪に走る人は一定数はいる。また猥褻さ無しで子孫繁栄家庭円満も無理だろう。


別に性の解放とかどっちの性別がどうだとか言うつもりはないが、
とにかく自分は、何かの作品の見方なんてのはその人の自由で、
それが猥褻であるかないか自体問題ではないと思っている。
もちろん、猥褻であると思う人がいるというだけで作り物を取り締まるなどとんでもないと思うし、
「自分と同じ猥褻さ基準をみんなが持ってくれないと不安だから取り締まれ」みたいなのは
他人(の自由)を馬鹿にした論理(というか感情)だと思うがどうだろうかね・・・。
 
 
posted by しかすけ at 01:17| 考え事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月18日

20140718「無題」


「あなたの感情に合わせて発言しているわけではない」


ネットでいきなり文句を言われる人は、まずこれちゃんと言いましょう。
わかってるようでわかってないのです、いきなり攻撃してくる人は。
posted by しかすけ at 22:54| 何か書く | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月16日

20140716「理想のタイプ」

 
最近は日中の地図仕事もしているしかすけです。ども。



以前そこそこ長くやっていらっしゃる芸人さんとお話する機会があり、
「メディアに出る機会があるのなら好みの女性のタイプくらいパッと答えられたほうがいい」
とアドバイスを受けた。

自分は普段あまり「人のタイプ」というものを意識しないので(人を分別する気はない)、
タイプを判別して相手を判断ということも別にやってないのだが、
確かに聞く側はパッと言われたほうがわかりやすいのだろう。
あえてタイプ化するのであればどうなるか。急に思い出したのでやってみよう。


まあ、お付き合いすることを考えるなら、まず女性である。
女性タイプの人間。

自分は考えていることがけっこう失礼というか傍若無人だったり突っ込みがキツいほうなので、
年上の人と打ち解けて自由に会話するのはかなり時間がかかる。
年下の人にこちらを年上と思ってもらわない方向のほうが多分楽だ。ということで。
年下タイプの人間。

感覚が鋭いというか、発想が柔軟で瑞々しい人が好きなので、
発想柔軟タイプの人間。

安定ではなく挑戦を好む人でないと人生つまらないし自分のことも理解されそうにないので、
チャレンジ精神旺盛タイプの人間。
(聞く人によってはここがネックらしいが、知らん。安定したいなら他所へ行け。)

人を愛することができるのと自分が好きなだけの人とではかなり違う。
他人を愛することができる人でないと家族にはなれない。
愛することができるタイプの人間。

人を愛する前にお前体調悪すぎだろ、という人はまず治療に専念してほしい。
あともうなんかに常に頼ってないと崩壊しちゃうという依存的な人はちょっと無理。
そこそこ心身が健康な人がいい。そこそこでいいから。困った時はお互い助けあおう。
健康的なタイプの人間。

何より俺みたいなのを受け入れても大丈夫な人がいい。
しかすけでも大丈夫タイプの人間。
(最大のネックである。)


まとめると、
女性で年下で発想が柔軟でチャレンジ精神があり愛する心を持ち健康的でしかすけでも良いというタイプの人。


い  ね  え  よ  !


これメディアで言っても大丈夫ですかねー(笑)。


まあ一番大事なのは最後だよなあ。はぁぁ。


今月30日で35歳になるしかすけでした。
 
 
posted by しかすけ at 20:48| 何か書く | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月14日

20140714「表現だから守る」

ろくでなし子さんが逮捕されたそうで、いろいろ議論されている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140714-00000527-san-soci

自分みたいなものがどうこう言ってもアレだけど、
まあちょうどこないだ「ブロンズ像をエロ目線で見るな」とかいうコメントを頂戴したので、
http://hoshimeki.seesaa.net/article/400893970.html
まあ何か考えたことを書いておこう。

えーと、俺はまず、どういうつもりで作られたものかはさておき、
ものを見た感想・感覚は個人の自由だと思ってるのね。
そりゃそうだよね。そんなのはその人の内部の話だからね。
そしてそれを表現することもまた自由だ。
ただしその表現や感想に基いて他者を攻撃したり規制しようするのは、
他者の自由を認めない行為だからしてはいけないと思う。
つまり気に入らない時に文句言ってもいいけど、やめさせることはできないということ。

これが俺の基本的な考え。
自分の気分がいいとか悪いとか、そんなことはどーでもいいのだ。

次に、わいせつ物とは何か。
これはモノである限りどうでもいいと思っている。人そのものの売買はまずいが。
わいせつ物を頒布してはいけないかというと、これも別にいいと思っている。
例えば、モザイクがあろうがなかろうが、物の提供目的に変化はない。
また、何をわいせつだと思うかは現在では非常に個人差がある。
人を同じ価値観で縛るのは社会的利益が多少あってももはや無理だ。
わいせつ=法的悪もおかしい。わいせつな気持ちゼロで我々は繁栄しますかね。

大事なのは他者を直接傷つけたり、不当に財産を奪ったり、搾取したりしないこと。
それ以上の思想や誰かの好みを持ち込むから、見解が多岐になりおかしな議論になる。
命や財産は守られるべきだが、そうでないことは極力自由にし、
気に食わないことがあるかもしれないが無視するか我慢する。それでいいではないか。

たったこれだけのシンプルなことだと思うんだけどね。
あんまり言うこと無かったね。

まあつまり、ブロンズ像とか、ろくでなし子さんの作品をエロで見ても自由だし、
エロ目的の娯楽作品を芸術として見ても、
そんなの誰に指図されるべきでもない自由なことでしょという考え。
「あれは芸術だから守るべき」とはまったく思わない。ただ「表現だから」守るのだ。

「表現の自由」とはよく言うが、いったいどれだけの人が
「表現」について、そして「自由」について深く真剣に考えたことがあるのかなあ。
考えてもいない人のこの手の話の主導権が握られるのは勘弁してほしい。
posted by しかすけ at 20:59| 考え事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月10日

20140710「話して何かやりたい(2)」

昨日のつづき。

話して何かやるというば、お笑いというか、漫才(漫談)やコントもやりたい。
なんというか、嗜みとしても、漫談の1つ2つはできるようにしたいものだ!

ただ、だからといって、なんとか興業に所属したいということはない。
お笑いは好きだが、あの先輩後輩に異様にこだわった雰囲気はちょっと無理。
自分から見ると、あれは自由な表現を阻害してる面があると思うからね。
だからやるなら自分だけでやる。

昔、2つくらいコメディ台本を書いた。2人でやるショート劇だ。
ただワープロ専用機で書いたため今は見られない。
どこかに印刷したものが残っているかもしれないのだけど・・・。

演技の勉強をしていた頃も、もっぱら喜劇系の人間だった。
エチュードで笑いを取るのは得意だった。
どう工夫したらいいか、どう間を取ったらいいか、常に研究していた。
あの専門学校の中ではかなり自主的に勉強しているほうだった。
日本語の本とか読んだりね。

生徒が各自考えた自分の台詞を提出しそれを組み合わせて作る練習劇では、
すべての台詞をダジャレにして出した。
そうすればどのように組み合わせられてもキャラができる。おいしい。
実際、終演後のアンケートでの反響も良かった。

そういう性格から言うと、お笑いをやるのに向いてはいると思う。
ネタがなくて困ってる人に頼まれたら何か書きたいくらいだ。
まあそんな人脈はないけども。別にお笑いライブに行くわけではないし。
あとあんまり表現者と客という線引きが好きではないというのもある。

なんかそういう、コメディ一人芝居みたいなものもいずれ音声作品の中で作りたい。
昔、山寺宏一さんが一人でやってたようなのとかね。
「お前みたいな奴が何を言うか」と思われるだろうけど、関係ないよね。
音声表現だって、絵や文章と同じくらい自由だと俺は思ってるよ!
 
posted by しかすけ at 20:00| あってもいいな | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする